【荒川流域を知る~埼玉のルーツ④~】第4回 7月5日「明治以降の治水は近代土木技術で」
- 7月7日
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*明治期最大の洪水「明治43年洪水」
カスリーン台風に並ぶ大洪水で、利根川右岸の「中条堤」決壊。埼玉県東部から足立区、豊島区の北、葛飾区まで水に襲われ、埼玉県土は37.2%が浸水。この洪水により明治政府は人命優先のため本格的に治水に取り組むこととなる。
*水の流れの数値化
河川の重要地点に量水標を設置し、水位から水流の「断面積」を求め、浮子(うき)で「流速」を測り、「流量」を求める。これは明治政府が招聘したオランダ人技師によりもたらされた近代土木技術で、水の流れを数値化することにより、治水のための川幅の長さ、堤防の高さも決めていくことができるようになった。
*「横堤」
通常の堤防が川と並行してつくられるのに対し、「横堤」とは川の中に直角につくられた堤防。流れの勢いを抑え、人が住んでいるところに水の流れが来ないように防御するための堤防で、荒川には25本の「横堤」が設けられている。
「横堤」は江戸時代に始まり、荒川笹目橋から上流の「荒川上流改修計画」で荒川中流部の幅広河川敷と共に残され、秋ヶ瀬橋・羽根倉橋・治水橋・上江橋・御成橋・糠田橋等の一部橋脚となって、荒川の左右岸を結ぶ重要な交通路として貢献している。
*「幅広洪水敷」と「荒川第一・第二・第三調節池」
広い川幅の荒川中流部の「洪水敷」は、平時は市民が使えるスポーツ施設(荒川総合運動公園など)として活用されている。しかしそこは本来、荒川洪水時には遊水池機能を果たす場なので、洪水の度に簡易トイレを車に積んで流されないように移動させたり、台風が過ぎた後も施設に残された泥を落としたりするのに大層な手間がかかっているとのこと。
併せて今は、その下流から第一・第二・第三と荒川洪水調節池が整備され生まれ変わろうとしている。
現在の暮らしに近づいてきた。常に水害から東京を守る役割を担ってきた埼玉は、実はどこの県よりも土木工事費という国費が投入され、治水がすすめられてきた県でもある。東京の隣に位置するということのメリットとデメリットについての考察はつづく。








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