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野本れいこ

荒川流域を知る~埼玉のルーツ~①

  • 4月6日
  • 読了時間: 2分

 NPO法人「水のフォルム」の代表である藤原悌子師匠のもと、以前は私も見沼たんぼで米作りを市民の一人として体験させていただいていました。

 師匠が大切にしていたのは、ただ米を作るということ以上に、水循環を考えること。水の流れを知ることはその土地を知るということ。

 体系だった学びの時間はなかなか取れないのですが、できるだけ学ばせていただきたいと思っています。走り書きが、頭の中でつながる時がくるといいなと思っています。

第1回 4月5日 「かつて東京は水の都だった」

*天正18年八朔の吉日に徳川家康が江戸に入国。赤坂溜池・小石川大沼から「江戸水道」を引き、江戸城建設のため平川下流の常盤橋から江戸城大手門まで「道三堀」を開削し、行徳の塩を運ぶ「小名木川」を開削。

*神田山を切り崩して日比谷入り江を埋め立て、前島を拡張して江戸港整備。平川の常盤橋下流(堀川)を整備し、五街道の起点に日本橋を架けた。

*江戸城の堀は「の」の字にして廻し、最後は隅田川に注ぐ。

*江戸の周りの河川は「感潮河川」。潮水が入り込んで用水として使えず、「葛西用水」と共に「見沼用水」が必要だった。

 その水源がさいたま市に残る「見沼溜井(現通称「見沼田んぼ」)

見沼溜井が枯渇して、「見沼用水」に水を送るために井沢弥惣兵衛は利根川の水を引き込んだ「見沼代用水路」を開削。

*綾瀬川は「堰上げ禁止」で田の排水専用河川に=用水路にはしない=農業には使わない=舟運路として使うという意味

 さらに、綾瀬川を隅田川につないで、埼玉東部の舟運に利用。

*利根川は東遷(洪水を遠ざけ、普段の利根川は用水として利用)・荒川は西遷(下流を隅田川の入間川筋に付け替え)

*併せて新河岸川を整備して荒川に合流させて、隅田川に至る舟運路を整備。

*荒川洪水には、事前に隅田川左岸の隅田堤とV字になるように「日本堤」を日本中の大名総動員で造る。ロート状にした荒川上流は熊谷まで遊水池。

こうして隅田川は後背地と江戸港に届く全国からの物流の拠点になって江戸の発展を支えた。埼玉県と東京都は武蔵国で同じ国。江戸を守るのが埼玉の役割だった。



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